TOP > 我が社の起業と苦労話し

第1回 グランドウエア㈱ 金丸 博様  /  第2回  ㈱ジャパンシーフーズ 井上 幸一様
第3回  (有)リード・クリエーション 福泉 礼二様  /  第4回  ㈱アビリティ・キュー 貞池 龍彦様
第5回  クサカベ印刷 日下部 俊明様  /  第6回  ㈱ビッグロードBIG ROAD 金川 俊一様
第7回  有限会社近藤スタジオ 近藤 宏一郎様  /  第8回  (有)羽山プロジェクトオフィス 羽山 直臣様
第9回  設備設計 有限会社シード設計社 鶴 澄様  /  第10回  シーエススチール株式会社 松原 照明様
第11回  有限会社建装舎 小澤 喜芳様  /  第12回  有限会社ショップハチ・ナナ・ハチ 田中 正春様
第13回  岡部不動産株式会社 岡部 利行様  /  第14回  おかはち事務所 岡部 八郎様
第15回  株式会社ティーアイプロジェクト 石川 哲也様


有限会社羽山プロジェクトオフィス 羽山直臣様


福岡市南区大橋で経営コンサルタントとしてご活躍中の羽山プロジェクトオフィスの羽山様にお話を伺いました。
ランチェスター戦略の研究を通して数多くの中小企業の経営を支えてあります。




自分は出身が熊本県で大学まで熊本県にいました。頭が良かったこともあり大学(熊本大学法文学部卒業)は5年間通いました。もちろん学費は払いましたよ(笑)。当時は学生運動の終わりかけくらいの時代で、私自身も世の中に対して素直な考えは持っていませんでした。

大学生活も5年目になり、卒業まであと2ヶ月と迫ったところで、さすがに今後の進路について考えるようになりました。学校に来ていた求人票で長崎県にある女子高の教員として1年間勤務しました。実際に教員として働き始めると、校則に沿って指導をしないといけない訳です。スカートの丈をチェックするなど、それまで世の中に対して素直な考え方をしていなかった私にとっては、そういう杓子定規な規則に耐えられずにいました。1年の契約期間が終わるとき学校長に「君は教師に向いていないのでは?」と言われ自分も「10年早かったと思います」とあっさりとそのことを認めて教員を辞めました。


失業後、熊本に戻る訳にもいかないので長崎で新しい仕事を探しました。そこで出会ったのが印刷会社の営業の仕事でした。20人くらいの小さな会社で出来上がった商品の配達を含めた営業職に就きました。当時、自分自身にはこれといった目標もなく、信頼できる先輩などにも巡り会えずに5年ほどの月日が経過して長崎を去ることにしました。

地元の熊本県に戻ると自分の兄から国立大学まで出ているのだから、半年間でもしっかり勉強して公務員の資格でも取得したらどうかと言われました。 しかし、あまり勉強する気にもなれず、以前 熊本にいた際に受験していた印刷会社に連絡を取って、前職のスキルを活かし再び営業職の仕事に就きました。 主に広告代理店を通して印刷物の製作を受注する仕事をメインに頑張っていました。

熊本で仕事を始めて半年が経ったころ、福岡支店のトップが退職することになり独身であった私に白羽の矢が当たって、福岡支店のトップとして仕事をすることになりました。28歳の時でした。福岡では主にスーパーのチラシなどの商業印刷の受注活動を行っていましたが、その福岡支店には社内の雰囲気を壊す年配の女性がいて、働いているスタッフ全員が嫌うほどでした。この女性がいるため支店の売上が停滞している事は目に見えて明らかでした。この女性社員の進退を決めるのにかなりな労力を使いましたが、何とか丸く治めることができました。



その後、支店の売上も伸び始め、一緒に働くスタッフとも一緒に頑張っていこうという雰囲気に変わりました。しかし、またしばらくすると、今度はそのスタッフ達が「給料を上げてほしい」などの要望が出始めてきて、それまでのみんなの視線が変わって来たように感じました。 この頃から自分の交友関係も変わってきました。一人で事業をしている人や経営側の人と関わることが多くなり、自分も「独立」という事に魅力を感じ始めました。

当時の世の中のバブル景気も手伝ってくれて、福岡支店の営業成績が好調に上がったことで本社への報告や連絡も不足がちになり、自分の判断だけで支店のあらゆることを動かしていました。
そうなると当然本社との関係も悪くなり、究極は会長から「売上が上がったから調子にのってないか?支店のトップなんて何の権限もないんだぞ」(熊本弁で)と怒られました。それを言われた時に会社を辞める事を決心しました。

その後、それまでの経験を基に広告企画の会社を立ち上げました。




直方市に戻って来てから働き始めたスタジオでの10年の間に前職のお客様のところの仕事や、大手代理店の孫請けの仕事などもしていました。他にもイベントの台本作りや学校関係と取引がある代理店から仕事を依頼され、学校関係のチラシ、パンフレットなどの印刷物の製作もしていました。
学校関係の仕事は自分の仕事に占める割合が大きいため、その仕事が無くなると売上が3割減少することもありました。 その当時、経営の勉強など全くしておらず、売上減少の原因が分かりませんでした。起業した当時少しずつ貯金ができるくらい売上が上がっていたのが4年目を過ぎたころからだんだんと落ち始めます。そこから経営の勉強をしなくてはまずいと気づきました。

勉強の内容としては財務や銀行系の勉強を始めました。ランチェスターの勉強会では経営の方法などを15回に渡って勉強をしました。15回目の勉強会が終わったとき、先生に呼び出されてもっと勉強をしないと駄目だと言われたのです。その時は15回も勉強したので自分ではそれで満足していましたが、人間は何度も繰り返すことで覚えて自分の本当の知識にするためには、量稽古が大切であることを言われました。教材は非常に高額ではありましたが、それも購入し繰り返し勉強をしました。

その勉強をしていたころ、経営コンサルタントの神田昌典さんが経営者の間で噂され始めます。神田さんは毎月A4サイズのニュースレターを製作していました。これが現在、私が書いている羽山レポートの原型です。お客さんとのコミュニケーションツールとして活用できると考えました。最初は自分と同じようにランチェスターの勉強をしている人へ配っていました。それを読んだ人から「文章が上手い」と褒められて「本を出したらどうか?」と勧められました。
この羽山レポートを執筆し始めてから時間も相当経過しており、当然それに比例してこれまでに執筆してレポートも随分な量になっていました。その時これらのレポートが自分の強みになると感じました。

そこで思い切って出版社に原稿を送りました。1度目では良い反応がなかったのですが、時間を置いて2度目の原稿を送った時にその原稿が先方の目に留まり、ランチェスター戦略の事例集という形で出版が決まりました。
結果的には3万5000部が売れました。通常、ビジネス書を販売する時には印税などの収入はあまり多くありません。広告費などに費用がかかるためです。肝心な事はビジネス書を出版することでそれをきっかけに講演会や勉強会などを開催して自分の仕事として結びつけることが重要なのです。
一般的に経営コンサルタントとして人前で講演などをするだけでなく、自分の考えや体験をビジネス書にすることで自分自身の格をあげていくことに繋がります。
当時の自分にはそういった考えがなく、今ではもったいない事をしたと反省します。ここにも綿密な計画や戦略作りをすることが大切だと学びました。ちょうどこの頃から自分は現在のような中小企業の経営コンサルタントとして本格的に動き始めていました。

今では様々な業種の方と知り合い、ランチェスターの法則、羽山レポートにあげている事例などを基に経営コンサルタントとして事業を行っています。書籍を出版したおかげで県外の方からも依頼があり、最近では電話やスカイプなどを利用したコンサル業なども行っています。






もし起業をするなら経営の勉強をしてから起業する方が断然いいですね。
弱者には弱者の戦い方があります。いきなり大きく出る必要はないのです。新しく起業する場合、人が多い都市部で開業するのではなくて少し離れた場所でスタートする事を勧めます。人口が多いところは、人口に比例してライバル、同業者も多いということですね。中心部から少し離れた場所で起業することで、ライバルが少ないために地域に密着して事業を行うことが出来ます。起業して張り切ってしまう気持ちはわかりますが、経営は長期戦なので戦略を立てて行動することが大事です。

その他にも資金面では多めに見積もっておく事です。半年間は資金面で困らないようにと思うなら金額としては1年分くらい貯めておく事をおススメします。固定費を下げるなど工夫も当然必要です。

経営コンサルタントの仕事はいかにお客様と長く付き合っていくかが大事です。お客様とのお付合いにお金を最優先に考えると必ず相手にその気持ちは見抜かれます。お互いに信頼できる人間関係が大切だということです。喜ばれる方法を考え、自分の気持ち主体で急いではいけません。例え、取引をやめるときでも丁寧に対応する事が大事です。

また時間の使い方が重要です。長期的に働き、仕事に当てる時間を増やす事、その時間の使い方を有効に活用する事が大切です。これを「時間戦略」といいます。
たとえば、1日のうちにお客様の事だけを考える時間を作ること。
人間は1日にわずか15分しかお客様のことを考えていないというデータがアメリカで実証されています。他人が15分ならば自分はその3倍(45分)その時間に作るだけでも成果は変わってきます。

この2点が大切だと思います。





これからは「業種の重点と範囲」を大切にしいていこうと思っています。
あれもこれもと広い範囲で勝負するよりも専門性が強みになる時代です。
たとえば、農業経営専門のコンサルや過去にお取引があった観光事業など、なにか専門性を持つことが重要です。今はメディカル、医療系のお客さんが多いので、そこを専門にできればと思っています。

この考えがあれば、専門分野でNo.1になれると思います。


ありがとうございました。
平成27年5月21日取材


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