TOP > 我が社の起業と苦労話し

第1回 グランドウエア㈱ 金丸 博様  /  第2回  ㈱ジャパンシーフーズ 井上 幸一様
第3回  (有)リード・クリエーション 福泉 礼二様  /  第4回  ㈱アビリティ・キュー 貞池 龍彦様
第5回  クサカベ印刷 日下部 俊明様  /  第6回  ㈱ビッグロードBIG ROAD 金川 俊一様
第7回  有限会社近藤スタジオ 近藤 宏一郎様  /  第8回  (有)羽山プロジェクトオフィス 羽山 直臣様
第9回  設備設計 有限会社シード設計社 鶴 澄様  /  第10回  シーエススチール株式会社 松原 照明様
第11回  有限会社建装舎 小澤 喜芳様  /  第12回  有限会社ショップハチ・ナナ・ハチ 田中 正春様
第13回  岡部不動産株式会社 岡部 利行様  /  第14回  おかはち事務所 岡部 八郎様
第15回  株式会社ティーアイプロジェクト 石川 哲也様


有限会社近藤スタジオ 近藤宏一郎様


福岡市東区松島でコマーシャル用の写真を中心に写真撮影をされている有限会社近藤スタジオの
代表 近藤宏一郎様にお話を伺いました。写真を撮り始めたきっかけから独立起業、今日までの話を
熱く語っていただきました。




自分は福岡県直方市出身で東京の大学に進学し経営学を学んでいました。もともと写真が好きで趣味だったこともあり、昼間は大学に通いながら夜間の写真学校にも通って写真の勉強をしていました。 その当時、学校で写真を勉強するのはプロを目指す人だけで、自分のように趣味の ために通う人はなく、自分がプロの写真家になろうなんて思ってもいませんでした。

大学卒業後、就職もせず、ふらふらとしていた時期がありました。
その当時、お付き合いをしていた彼女(現在の妻)から仕事をしていない自分に対し、何かしたいことはないのかと尋ねられました。結婚も考えていましたし、就職しようと思い仕事を探し始めました。 自身のやるべき仕事について考えたとき、できるなら好きな写真の仕事がしたいと思ったのですが、最初に見つけた仕事は工事現場の仕事でした。1週間が過ぎたあたりで真面目さがかわれたのか、現場の責任者にならないかと要請を受けました。その話しを妻にすると、あなたのしたいことは写真でないのかと言われ、改めて写真の仕事を探しました。


新聞広告で見つけた写真スタジオに応募しましたが、その採用面接にはなんと100人近くの人が集まっていました。採用枠は1人で自分は受かるはずがないと思っていました。面接で何を話したかも覚えていません。 後日、連絡がありその1人の採用枠になんと自分が受かってしまったのです。今考えてもなぜ自分が採用されたのか分かりませんし、特に理由も聞きませんでした。とにかくその採用によって自分は写真スタジオで働き始める事ができました。

大手スーパーの広告用の写真などを手がけていたそのスタジオで1ヶ月も経たない内に自分の仕事が認められるようになり、気づけば自分にアシスタントとスタイリストを付けてもらって写真を撮るようになっていました。当時そのスタジオで大手スーパーの仕事だけでも1日200点以上は撮影していたと思います。だんだんと仕事を任される量が増え、気づけば会社の仕事のほとんどを引き受けるようになっていました。

そんな折に、直方の実家から連絡が入り、直方の実家に戻って来てほしいと言われました。父が亡くなって母一人で生活をしていたからでした。写真の仕事も増え、新しいスタジオができて8ヶ月程が経った頃の話です。まだまだ仕事はありましたが、妻(まだ結婚はしていませんでしたが)と一緒に福岡に帰る選択肢を選びました。

直方市に帰ってきてからまた写真の仕事を探しましたが、たまたま応募していた写真スタジオでの出来事です。直接スタジオまで行くとその日、面接を受ける予定だった別の人と間違えられるというハプニングがありました。スタジオの人に気に入られ自分が採用になるという展開になったわけです。ちょうど1週間後に結婚式が迫っており、定職についていない状態で式を挙げるのは気が引けたので、なんともラッキーなタイミングでした。(笑) そのスタジオで10年ほど働きました。25歳くらいから10年ですね。こちらでも大手スーパーなどの商品を撮影していました。




直方市に戻って来てから働き始めたスタジオでの10年の間に様々な写真を撮り続けました。自分は断る事が嫌いなので、頼まれることは何でも引き受けました。他の人が苦手にするようなことや嫌がる仕事など、気づけば、断らないから多くの仕事が私に回って来ていました。 冬の英彦山の山頂の仕事が来たときは、氷つくような雪の中での撮影を3回チャレンジしてようやく成功したこともありました。雪は降っているものの晴れていなかったり、逆に晴れているけど、雪が溶けた後だったりと。しかしそういった経験は自分にとって良い経験になりました。大変ではありましたが、人が嫌がる仕事を引き受けてきたおかげで様々な経験がつめました。 様々な経験ができた反面、周りの人より仕事を大量に受け過ぎて思い通りに消化できず休みも取れていませんでした。

過労のためか夕方になると蕁麻疹がでるようになり、病院に通わざるを得なくなりました。ストレスが原因でした。そんな折、一緒に働いていた仲間から独立してはどうかとの 打診を受けたのです。独立を勧めた仲間も一緒に手伝うからと後押しもあって独立する事を決めました。 これが独立起業のきっかけです。実際に独立したのはそれから半年後で35歳のときでした。






独立前に勤めていたスタジオの社長に独立する話しをすると、なぜ辞めるのかと止められました。自分が独立して今まで自分が携わっていたお客さんを連れて行かれたらまずいと思ったのでしょう。先に手を打たれてしまい、サラリーマン時代の仕事を起業後に引き継ぐことは全くありませんでした。独立当時は仕事がほとんどなくて、いつ会社がつぶれるか不安でした。

また、起業した時はテナント代や写真の機材代など初期投資で多額の借金がありました。仕事を頑張っても当時は金利も高く借金が減らないわけです。1人だったら辞めていたかもしれません。しかし、独立を後押ししてくれた仲間と2人で事業に取組んでいたため、どれだけ赤字になっても事業を止めようとは思いませんでした。別のスタジオの人から一緒に仕事をしないかと誘われた事もありましたが、そういったお誘いも全て断りました。


半年を過ぎたころ、大手代理店から声がかかり、仕事が増え始めました。だんだんと 仕事の量が増え、2人では手が足りなくなり人材を増やし多いときは8人ほどで仕事をしていました。結果的に35歳で独立し、10年過ぎたころから仕事も遊びのうちと思えるようになり、楽しくなりました。





基本的になにも考えていません。セッティングなどには気をつかいますよ。 モデルさんを起用する場合、相手が自分を気に入ってくれるように、笑顔が出しやすい雰囲気を作ることや、物を撮る時、一番、どこから見たら被写体がきれいに見えるのか、魅せたいポイントはどこか見極める力が必要です。今でも他の人が撮った写真やカタログなどを見て勉強しています。なぜ料理がおいしそうに見えるのか、どういうライティングがいいかなど、全てにおいて妥協はなくてまた、大丈夫という事はありません。
写真は一見さんとの仕事はありません。いい仕事だとお客さんに思っていただけないと次の仕事はありません。 お客さんを大切にして次も来てもらうことで仕事が続くわけです。一回の仕事、被写体に対してどれだけ情熱をかけられるかが大切です。
昔のアナログの時代は写真として商品が写っていることが一番大切でしたが、今では商品をどういうイメージで魅せるかが大切です。主役が何かを考えることですね。






あります。まだフィルムのカメラで撮影していた頃、ストロボ撮影でレンズの設定をM接点の状態で写真を撮ったことがありました。新しいレンズを使っていたため気づきませんでした。いざ、写真を現像したら何も写っていなかったのです。
その他にも美術館のパンフレット用に貯蔵品すべての写真を丸2日間かかけて撮りました。真っ暗になる部屋を美術館の方に用意してもらいそこで撮影した写真を詰め替えましたが、その部屋に赤外線がついている部屋だったため2日分の写真をすべて無駄にしてしまったこともありました。国宝級の作品などもあったため、もう一度全てを撮り直すのは大変でした。

フィルムのカメラでの撮影をしていた頃は、撮影後、現像するまで出来上がりがわからなく、撮影する為の技術が非常に大切で、ある意味そこに写真の醍醐味がありました。 ライティングやセッティングなどで大体の仕上がりの予想は立てるものの、失敗したのではないか、自分の思いどおりの仕上がりになっているかという不安で眠れない事もありました。今の時代はデータをその場で確認することができ仕上がりを見ることができます。ある意味、緊張感や醍醐味はなくなったかもしれません。





これから先のことはあまり考えていません。出来れば続けていきたいですね。 もともとコマーシャル用の写真は好きではありませんでした。どんなものでも良い様に魅せる、ある意味嘘をつく写真だから嫌でした。しかし、この写真1枚でその商品の売上を左右するわけです。お客さんからあなたに頼んでよかった、一味違うね、といわれると嬉しく思える様になりました。
また、相手が偉い人であってもカメラを持っているときは相手と対等でなければ良い写真は撮れません。気を使ったり、下手に出たりすると駄目なんです。プロとしてどうしたら一番良く写真がとれるのか強気でいくことが大切です。自分はカメラさえ持っていれば怖くない、カメラを持つと人格が変わるので(笑)、撮れるものは何でも撮りたいと思います。世の中に発表する前の新商品など、いち早く携わる事ができますし、人の作品の手助けができる事も嬉しいですね。
写真家、カメラマン自体が絶滅危惧種かもしれませんが、自分はお客さんがいらっしゃる限り、この仕事を続けていこうと思っています。


ありがとうございました。
平成27年4月15日取材


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