TOP > 我が社の起業と苦労話し

第1回 グランドウエア㈱ 金丸 博様  /  第2回  ㈱ジャパンシーフーズ 井上 幸一様
第3回  (有)リード・クリエーション 福泉 礼二様  /  第4回  ㈱アビリティ・キュー 貞池 龍彦様
第5回  クサカベ印刷 日下部 俊明様  /  第6回  ㈱ビッグロードBIG ROAD 金川 俊一様
第7回  有限会社近藤スタジオ 近藤 宏一郎様  /  第8回  (有)羽山プロジェクトオフィス 羽山 直臣様
第9回  設備設計 有限会社シード設計社 鶴 澄様  /  第10回  シーエススチール株式会社 松原 照明様
第11回  有限会社建装舎 小澤 喜芳様  /  第12回  有限会社ショップハチ・ナナ・ハチ 田中 正春様
第13回  岡部不動産株式会社 岡部 利行様  /  第14回  おかはち事務所 岡部 八郎様
第15回  株式会社ティーアイプロジェクト 石川 哲也様


有限会社シード設計社 鶴澄様


福岡で創業されて37年目を迎えられる建築設備基本計画や建築設備設計、 監理をされている有限会社シード設計社 代表の鶴様にお話を伺いました。 大学時代は設備設計とは関係のない水産学部で化学を専攻されていたというところからお話しを伺いました。




建築の分野は私が学んできた分野とはまったく違う分野でしたが、化学の知識は今の仕事にとても役に立ちました。

例えば、住宅につける水の浄化装置は水質で選ぶ機器が変わりますが、こんなところにも水産学部で学んだ知識が役に立ったのです。

設備設計という仕事は、商材一つ選ぶのにもエンドユーザーのことを考えて、一番適した商材を選ばなければならない立場にいます。 建築事務所の人やお施主様にいかに提案する商材が適しているかを説明説得するときに水産学部で学んできた知識は設備設計の仕事をする上でもとても役立っています。

時折、お客様の中には建築設備設計の仕事をする私が建築のプランに対して意見をしてしまうというやり方が気に入らない人もいます。
また、提示されたプランでは使いやすい設備にならないから作り直したほうが良いと助言する場合もあります。最適な建築プランであれば設備の費用を落とせる場合もあるのです。もう一歩先まで探求する事で良い仕事が出来ると思っています。

普通の人が避けたい意見を敢えて口にする、また場の空気が読めない性格、 所謂、職人気質な私のことを慕い理解していただける方が今の私のお客様に なって頂いています。






建物の電気や空調の設備関係の設計のみを専業にした仕事です。
九電工などは設備の施工会社ということになります。商業ビルや老人ホーム、保育園などの建築の基となる仕事でそれぞれの建築プランにあわせた設備の提案などをしています。 施工会社の世界では、福岡の地場企業は勉強会や社員教育などがあまり充実しておらず、一企業として一定の力量(技術)がないところが多いようです。

超大型の商業ビルなど目玉事業は大手企業が仕事を押さえるため、それらの仕事に地場企業がなかなか取り組む機会がありません。もっと地場企業の技術力の底上げをしたいと思っています。






学生時代、長崎大学水産学部で化学を専攻したので最初の就職は、食品系の会社に入社しました。醤油の製造などをしている企業で私はその会社の研究室で新しい商品の開発をしていました。
もともと就職をするときに、いつか起業したいという気持ちがあったので、会社を選ぶ際も大手企業よりも「この会社なら社長になれる」という見込みを感じて入社を決めました。 また、商品を作るならヒットする商品を開発しようと意気込んでいた事もあり、大学で学んだ分野を少しでも活かせる企業を選び入社しました。

しかし、当時の私は職場等でより良い人間関係を築く事が苦手な方で、この食品会社の社長と喧嘩になり1年と少しで辞めてしました。

その後半年ほど知人の所でアルバイトなどしました。そのような折に役所(長崎県庁)に勤務していた父親が建築関係の仕事を紹介してくれました。今までとはまったく違う分野の仕事でしたが、「この世界は競争の世界だ」という父の一言に非常に心が動かされ、生まれ育った長崎から博多に出て来ました。私が24歳の時でそれから建築設備設計一筋で仕事をすることになるのです。

ずっと以前から30歳で独立しようと考えていたのですが、30歳で鶴設備設計事務所として独立起業しました。起業当初は仕事が全くなかったのでお客様を集める営業からスタートしました。

独立してからの仕事は公共事業や大学関係など役所からの仕事を多く受けていました。しかし、役所などの所謂、公共事業を発注するお役人様は私達に対して常に上から目線で仕事の指示をしてきます。職場のスタッフもお役所の方の言動にいつも気を遣いながら日々の仕事をこなしていました。自分自身の仕事のスタイルとしては、最終的なエンドユーザー(お施主様)のことを考えて良い仕事がしたいと思っていても、役所は役所側の要望に沿った図面を描くこと、納期を守ることなど、とにかく役所サイドの一方的な仕事を求めてきます。

独立して15~6年経った頃に当時一緒に働いていた従業員(5人ほど)を集めて役所からの仕事を今後一切辞めることを告げました。会社としては当時の売上のおよそ半分が役所からの仕事であったため、従業員のボーナスは払えない状態になります。それでもみんなは私の気持ちを汲んで公共事業から手を引くことに賛成してくれました。会社の利益は従業員に還元する事にしていたので会社の貯蓄はほとんどありませんでした。今でも実現はしていませんが1人100万円のボーナスを出す事を目標の一つにしていたので、公共事業から手を引いたことは経営者としては間違った考えだったかもしれません。利益と仕事のやりがいで後者を取った形になりました。
独立して10年が経ったころに有限会社シード設計社に社名を変えました。






共に仕事をする建築事務所や建主さんに頼っていただけることですね。また、間接的なお客様(お施主様など)にも喜んでいただけるところもやはり大きなやりがいの一つです。

例えば、設計の図面を描く段階でチョイスする商材について、建築事務所と意見が食い違いスムーズに打合せが進まなくてもエンドユーザーの方が実際に使用することを考えると、やはり自分の意見を押し通してでも最適なものを選ばなければなりません。建築事務所にはその時はいやな思いをさせるかもしれませんが、仕事が完了して建物を引き渡した後にお客様からも喜ばれ、結局それが建築事務所としての評価が上がることになるのです。

建築設備設計の業界は昔からスーツを着て硬いイメージがありますが、私の会社では見ていただいたとおりの服装もスーツでなくラフな格好です。私が過去に円形脱毛症になったことがきっかけで帽子をかぶり始めました。 帽子をかぶることでお客様にも覚えてもらえ、見た目にもラフに仕事をしています。社員にも帽子をかぶる方が格好いいとも言われて私のトレードマークになっています。






これまでシード設計社ではプランの段階からしっかり創りこんでいく案件がほとんどで、それがシード設計社としてのブランドになっています。

一方で若い人や低予算で仕上げたい人からの依頼が無い訳でもなく、社内でその両極端な仕事を一緒にすることは社員にとって混乱を招くことになります。
一つの会社内で別々のやり方をするのは非常に難しい事なのです。シード設計社のイメージは守りつつ、とり逃している案件やお客様の受け皿を広げるという意味で分社化しました。
私的には「設計界のユニクロ」を創ろうという思いですね(笑)






展開というか目標というか、今までと同じように「楽しく仕事をする」ということですね。
公共事業や大手企業が受注している仕事などに手を出していけば、ある程度容易に売上を伸ばす事が出来ます。ただ単に仕事の内容を無視して仕事を増やせば過去に経験したただ図面を引くだけの仕事になってしまいます。弊社が望まないお客様に出会う確立も自然と増えてきます。そういう仕事はしたくないと思っていますので、今後そういう仕事での売上額アップだけの展開は考えていません。

社員と一緒に楽しく仕事をしたいと思っています。仮に徹夜の仕事をすることになっても、楽しく徹夜できる職場でありたいと思います。
利益ではなく楽しさを優先させるのでは、経営者としては失格かもしれません。しかし、なんと言っても社員が楽しいと思ってくれる職場環境で仕事をしていきたいと思います。



ありがとうございました。
平成27年7月6日取材

有限会社シード設計社のHPへ

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