TOP > 我が社の起業と苦労話し

第1回 グランドウエア㈱ 金丸 博様  /  第2回  ㈱ジャパンシーフーズ 井上 幸一様
第3回  (有)リード・クリエーション 福泉 礼二様  /  第4回  ㈱アビリティ・キュー 貞池 龍彦様
第5回  クサカベ印刷 日下部 俊明様  /  第6回  ㈱ビッグロードBIG ROAD 金川 俊一様
第7回  有限会社近藤スタジオ 近藤 宏一郎様  /  第8回  (有)羽山プロジェクトオフィス 羽山 直臣様
第9回  設備設計 有限会社シード設計社 鶴 澄様  /  第10回  シーエススチール株式会社 松原 照明様
第11回  有限会社建装舎 小澤 喜芳様  /  第12回  有限会社ショップハチ・ナナ・ハチ 田中 正春様
第13回  岡部不動産株式会社 岡部 利行様  /  第14回  おかはち事務所 岡部 八郎様
第15回  株式会社ティーアイプロジェクト 石川 哲也様


㈱アビリティ・キュー代表取締役 貞池龍彦様


コンビニやスーパーなどに設置してある無料の求人情報誌「あぱぱ」の制作をされている株式会社アビリティ・キューの代表取締役 貞池龍彦様にお話しを伺いました。街中など人目につく場所に配布されている求人情報誌を福岡で、初めてフリーペーパーとして配布されたパイオニアでもあります。




大学を卒業して新卒で、職の適正検査などの事業をしている会社に入社しました。自分の先輩がいたこともあり、当時の社長に直接アポイントを取り訪問しました。就職したい旨を伝え、入社試験を受けて入社しました。当時、オイルショック後の不景気な時代に社名が横文字で、何の事業をしているか分からない小さな企業に50名ほどの人が採用試験を受けに来ていました。結局10名程度が採用され、幸いしてその中の1人に入ることが出来ました。



就職した会社は、職業の適正検査の他に職業紹介や派遣業、マーケティングや求人情報誌など様々な業種を取り扱っていました。自分は求人情報誌の部署があることを入社当時は知りませんでした。入社当時、営業部署に配属されて企業の新卒採用者の入社前通信教育のツールの販売をしていました。当時、高度経済成長時代の真っ只中であったことから、どこの企業も人手不足が深刻でした。この商品は企業と内定が決まった学生をつなぐツールとして開発した商品でしたが、この商品が全く売れずに苦労しました。その他にも企業用の会議ノートなど、あらゆる商材を販売しました。

自分が入社した当時は東京、大阪、北九州、福岡と支店がありましが、オイルショックが原因で福岡以外の支店が閉鎖になります。北九州の支店に勤めていましたが、数ヶ月で福岡に異動になりました。この時に会社が発行していた求人情報誌「週刊求人」を知りました。 現在の主力商品である「あぱぱ」は、この求人ふくおかの中に折り込まれていたアルバイト・パート社員の求人専用の中刷りを単独化し商品化したモノです。 博多駅筑紫口の企業や飲食店などをつぶさに来る日も、来る日も訪問営業しました。

当時は今の時代と違って、企業の社長にまだまだゆとりがあったことから飛び込みで営業しても話しを聞いてもらえていました。しかし、時には名刺を投げ返されることや頭から門前払いを受けることも多々ありました。多くの同期や先輩たちの中で地道に営業を続けた甲斐あって、トップセールスの座に上りつめていました。 入社以来20数年間を必死に働き、気が付けば取締役として求人部門のトップとして30名ほどの部下を持っていました。

その後、バブルの崩壊によって会社の業績が見る見る赤字になっていきます。当時、会社も自分たちも生き残りを考えて今後の対策を考え抜きました。 当時の社員5人(現在のアビリティ・キューの取締役5人)で考えた結果、求人の営業部門だけ独立させるということにしたのです。 平成6年にこれまでお世話になった会社から営業部門を譲り受け、17人の仲間と共に現在の株式会社アビリティ・キューを創業させました。




独立後2~3年はある程度、業務は順調だったのですが、その当時に起こった金融破綻が原因で一気に経営が苦しくなります。求人を出す企業にとって、金融破綻で大手の企業が倒産しているのを目の当りにして、自分の会社の先が見えなくという不安に陥りました。そうすると、どの企業も守りに入り求人を出さなくなります。求人が少ないと求人情報誌もページが少なくなり、本屋においても売れなくなる訳です。求人情報誌が人の手に取られなくなると求人も無くなり、さらに求人を出さない企業が増えました。こういう悪循環が起こるようになりました。

当時、中小企業家同友会に入っていたこともあり、参加した勉強会で小さな範囲に同業者が7社もいることを知りました。このままでは自分の会社も先がないと考えて、何とかしなければと悩みました。その時、大手コンビニに「あぱぱ」の求人情報誌を販売促進ツールとして無料設置をしていました。そこでこれを無料配布(フリーペーパー)展開をすることで商品化しようと決意します。メディアとして確立することを決めたのです。「あぱぱ」のターゲット読者が主婦の人達であったため、スーパーマーケットに着眼して目にとまりやすい場所に設置し、求人を探している主婦たちが簡単にしかも、無料で見られるようにしたのです。とにかく1,000箇所の設置を目標に掲げて、何がなんでも1,000箇所設置して世間に認知してもらおうと頑張りました。

当時の不安としては資金難があげられます。「あぱぱ」が商品として伸ばせるか、その前に資金が尽きるかどちらかという状況でした。当時「あぱぱ」の印刷を発注していた印刷会社にも支払いが滞っており、取引を断られかけていました。その時、幸いと言うか別の印刷会社から印刷会社の乗り換えを持ちかけられたのです。「あぱぱ」の設置営業をこれまで断り続けられていた大手スーパーマーケットを紹介してもらう事、また支払いを通常より大幅に遅らせてもらうことを条件に取引が始まりました。ここを起点に「あぱぱ」の商品力が確立し始めます。また資金も貯まり始め企業として安定していきました。

現在では福岡市とその周辺地域に40,000部ほどの求人情報誌「あぱぱ」を安定的に発行・設置しています。




やはり金融破綻のときが一番苦しかったです。商品が伸びるか会社が立ち行かなくなるかの時でした。資金的にも人材的にも苦労しました。印刷会社の方にはとてもお世話になりました。そのような状況を乗り越えられたのは、諦めない気持ちがあったからだと思います。

当時一緒に働いていた営業仲間に今ならまだ再就職もあるし、本当に「あぱぱ」で頑張りたい人だけ残ってほしいと声をかけました。結果残ったメンバーは現在の取締役の5人と新卒採用の4人だけで他はみんな辞めてしまいました。

「あぱぱ」がこれから売れないだろう、売れるはずがないと思った社員は去っていきましたが、自分自身は必ず売れる、この手法が必ずうまくいき絶対に商品として確立できると思っていました。

その根拠として、ただの求人情報誌ではなく、マーケティングリサーチとしての役割があることをいち早く理解していましたし、自分は絶対に売れると考えていました。周囲の人々にも助けられながら、残った9人で必死に営業活動をして乗り越える事が出来ました。





「あぱぱ」のターゲットをいかに絞り込んでいくかです。

「あぱぱ」は主婦や女性向けの求人情報誌です。大手企業は若者(学生やフリーター)の需要が大きいので、若者向けの求人情報にターゲットを絞り込んでいます。なぜかというとアルバイトなどは大抵2~3年で入れ替わりがあるし、フリーターは正社員が決まれば辞めるために求人数が多いのです。

逆に弊社としては、一度採用が決まれば転職が少ない主婦の求人情報誌としてのブランド化を図ることを戦略と考えています。 中小企業の場合、人財の採用、育成が重要な戦略の課題です。これからは主婦の労働力や高齢者、あるいは外国人労働者や障がい者など「この仕事を誰がしてくれるのか」ということに重点に置いて採用を考えることが大切になります。




苦しかった時期もマラソンでつけた、気力と体力のおかげで乗り越えられました。

ありがとうございました。
平成26年11月6日取材

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