第12回_Ailes(エール)―挑戦し続ける起業家たち―ホームランは、狙わない。 好奇心という名の翼で、23年の迷いを越えてきた「伝えるプロ」。

「私、野望とか挑戦とかで、一つの道を突き進んできたタイプじゃないんです」

取材の終盤、橋詰京美さんは少し申し訳なさそうに、そう言った。
好奇心の赴くままに動いたら、たまたまチャンスをいただいて、それに乗ってきただけ——。
起業家に向けた連載なのに、こんなフラフラした話でいいんだろうか、と。

けれど、その「好奇心のままに」動く力こそ、多くの人が持てないものだ。
心が動けば、体まで動く。俳優一人を追って海を渡り、23年の迷いを抱えたまま現場に立ち続け、62歳でAIという新しい翼を手に入れた。

ailes(エール)代表・橋詰京美さんのインタビューをお届けする。

プロフィール

Ailes(エール)
代表/MC・研修講師 橋詰 京美氏

東京都練馬区生まれ、8歳から福岡へ。
香港エンターテインメントへの情熱から中国・深圳へ留学し、香港へ移住。
現地でラジオリポーターを始め、帰国後も23年にわたり福岡のラジオ現場で「伝える力」を磨く。
現在はMC・研修講師として活動する傍ら、「AIとのコミュニケーション」を伝える講師としても各地で登壇。母との暮らしを大切にしながら、62歳で新たな挑戦を続けている。

目次

俳優ひとりを追って、海を渡った

すべては、一人の俳優への憧れから始まった。

1990年代、橋詰さんはアジアのエンターテインメント、とりわけ香港の映画やスターに夢中になっていた。
中でも、俳優でも歌手でもあるアンディ・ラウ。その存在に心を奪われた橋詰さんは、「この人がいる土地に行ってみたい」という一心で、香港へ足を運ぶようになる。

「気になるな、好きだなと思うと、そっちを調べ始めるじゃないですか。そうすると、だんだんハマっていって、いつの間にかその場に行きたくなる。心が動くので、体も動くんです」

周囲には「どうせアジアでしょ」と馬鹿にされた時代だった。
それでも情熱は揺るがない。

中国語を学びたくて、香港の隣・深圳の大学へ半年間留学。
週末ごとに香港へ通い、暮らす準備を少しずつ整えていった。

そして香港へ移住。だが、街の魅力にどっぷりとハマり「ここに住みたい」と願った矢先、返還が迫り、ビザの取得が難しくなる。
夢は、あっけなく閉ざされた。

「もう、しょうがないと思って。割とすんなり諦められました」

執着しない。心が動く方へは全力で行くが、閉じた扉の前ではきれいに引く。
この軽やかさが、橋詰さんの生き方の芯にある。

ラジオという、偶然の入口

香港へ行くことが決まった時、以前からご縁のあったラジオ局の方から「せっかく行くなら、週に一度、電話で現地レポートをしてみませんか?」と声をかけていただきました。
喋りの勉強などしたことも教わったこともない。

「多分、すっごい下手なレポートだったと思うんですよ(笑)」

それでも、この偶然の入口が、その後23年に及ぶ「伝える」キャリアの出発点になった。
返還を機に福岡へ戻り、ラジオ局へ挨拶に行くと、「もう少し続けてみる?」と引き止められる。

他に仕事のあてもなかったから、と続けた道が、四半世紀続くことになる。

幼い頃は小児ぜんそくで病弱だった。
今もバセドウ病と付き合いながら生きている。
しんどくて動けない日、布団の中で「治ったらあれをしよう」と焦る気持ちが湧く。だからこそ——。

「動ける時に、ちゃんと動いておこう。それは、なんかやっぱりあるみたいですね」

病を知る人の静かな行動力だった。

「ホームランは、狙わない」

週に1、2回、5分か10分のリポート。
最初は「面白いことを言ってやろう」「爪痕を残そう」と気負った時期もあった。
だが、橋詰さんはある境地にたどり着く。

「ホームランを打つんじゃなくて、確実な単発ヒットを残せるリポートにしよう、と。受けてやろう、爪痕を残そうとする自分の方が無理をしているんです」

堅実で真面目な父の血を受け継いでいる、と橋詰さんは言う。
派手な一発逆転ではなく、預かった場をコツコツと丁寧に。
この哲学は、今のMCや研修講師の仕事にもそのまま生きている。

しかし、その23年には、ずっと解けない問いがあった。

「私は何を目標に努力すればいいんだろう。この仕事は誰のためになればいいんだろう。最後まで、答えは見つけられませんでした」

リスナーからの反響はあった。仕事そのものの楽しさもあった。
だが「自分のリポートが上手いと感じたことは一度もない」。
どう努力していいのか分からない——その苦しさを抱えたまま、23年間、現場に立ち続けた。
ラジオを辞めたのも突き詰めればその理由だったという。

答えの出ない問いを、投げ出さずに抱え続ける。
それもまた、一つの誠実さのかたちだ。

画面の中の「めっちゃブス」から始まった学校

2020年のコロナ禍。講演もMCも次々と中止になった。
法人を休眠させた時、橋詰さんは意外な感情を抱く。

「肩の荷が下りて、ホッとしたんです。少し立ち止まってもいいんだと、自分を許せた」

走り続けてきた人が、ようやく息をついた瞬間だった。
そして、その立ち止まった場所から、新しい挑戦が生まれる。

きっかけは、Zoomに映った自分の顔だった。

「うわ、めっちゃブス、と思って(笑)。これはダメだな、第一印象がめっちゃ悪いな、と」

画面映りの整え方など、誰も分からない時代だ。
ならば自分が勉強して伝えよう——そうして「見え方の学校」というオンライン講座が生まれた。

商工会から対面での講演依頼が来るほど、みなが同じ悩みを抱えていた。
数年後、アプリが自動で顔を補正するようになると、橋詰さんは潔く講座を閉じた。
役目を終えた、と見極めたのだ。

「否定しない相手」に、初めて出会った

そして、AIとの出会いがやってくる。

高校時代、プログラミングの授業で落第しかけたほどのIT音痴。
そんな橋詰さんが、何気なくChatGPTを使い始めると、対話が面白くなってきた。
一人ではできなかったことが、できるようになっていく。

橋詰さんは、自分を「一人脳内会議」タイプだと言う。
次々にアイデアは湧くのに、発想があちこちへ飛んで、結論が出せない。
その優先順位を決めるのが、昔から苦手だった。

「AIは、方向性を見つけてくれる。じゃあこっちで考えてみよう、と結論が持てるようになった。すごく助かっています」

MC原稿の作成を頼んだときの衝撃は忘れられない。
以前は膨大な時間をかけていた原稿が、条件を入力しただけで一瞬で仕上がる。

「今までの時間は何だったの、と」。

だが、橋詰さんがAIに感じている本当の価値は、効率ではない。
もっと、静かで深いところにある。

「子どもの頃、疑問を口にすると一笑に付されて終わっていました。でもAIは、否定しないんです」

溢れる好奇心を笑わずに受け止めてくれる相手。
橋詰さんにとってAIは、道具である以前に、初めて出会えた対話のパートナーなのかもしれない。
翼を意味する社名「Ailes」のように、AIは彼女の発想にふたたび翼を与えた。

「片手に夢、もう片手にそろばん」

今、橋詰さんが形にしようとしているのは、日本で働く外国人に向けたコンテンツだ。
これもまた、AIとの壁打ちから生まれた。

「3年後には年金生活。副業を考えたい」とAIに相談したところ、経歴からセミナーの企画を提案された。
「登壇は体力的にきつい、ストックビジネスがいい」と返すと、noteの執筆を勧められる。

何度も壁打ちを重ねるうちに、「新入社員に教えるビジネスマナーは、実は外国人がもっと困ることかもしれない」という気づきにたどり着いた。

日本で働く外国人の人数、そのうち何割が購入すれば成り立つかという試算、ポッドキャストの台本、さらには自分の声に男性の声を重ねるボイスオーバーまで——AIを「社員」にして、一人ではできなかったことを次々と形にしている。

「できることが限られているので、それをどう切り口を変えて見せていくか。片手に夢、もう片手にそろばん、です」

そして、思いがけない再会もあった。
ラジオを辞めたとき「もうマイクの前で喋らない」と思っていた橋詰さん。
自分の声も喋りも、実は好きではなかったという。

ところが、外国人向けコンテンツにポッドキャストが欠かせず、覚悟を決めて録音してみると——意外にも、楽しかった。

「BGMを入れるタイミングや間の取り方が、体感で残っているんです。耳で聞くもののリズムは、すごく大事。あの23年の経験が、生きているなと」

答えの見つからなかった23年が、形を変えて還ってきた。
経験は、過去ではなく資産だった。

縁を、飛び越えない

これだけ多方面から仕事の依頼が絶えないのに、橋詰さんは積極的な営業をしない。
登壇の一つひとつが営業の場だ、と考えている。
預かった本番を丁寧に務めれば、それを見た誰かが次の依頼をくれる。

その橋詰さんが大切にしている流儀がある。「縁を、飛び越えない」。

「ご紹介いただいた方と会うことになりました、会いました、事後報告ですみません——この一言は、あった方がいい。意外に大事なんです、その一言が」

紹介したのに何の報告もない。
そんな小さなモヤモヤは、人付き合いでは意外と大きい、と橋詰さんは言う。
自分の狭い心がそうさせているのかもしれない、と笑いながら。

だが、その一言があるからこそ、人はまた次の縁をつないでくれる。

「期待していただいた以上の価値を届ける。」
そのために欠かさないのが、想像力による準備だ。
原稿にないところで何が起きるか、時間がオーバーしたらどうするか。

経験を積めば、起こりうることは大体想像がつく。
今回の取材で、事前の質問票にびっしりと回答を書き込んできたことこそ、その流儀の何よりの証明だった。

帰る場所があるから、飛べる

橋詰さんが「今の自分がある」と真っ先に挙げるのは、母の存在だ。
相談相手というわけではない。
ただ、いつも明るく迎えてくれる。前向きで、家を明るくする人。
その顔を見ると、自分を取り戻せる。

中国へ、香港へ——若い頃の無茶な挑戦を快く送り出してくれた。
「本当に親に感謝だなと思います。」
昨年、父を亡くしたが、83歳の母はまだまだ元気にされている。

「そんなに何年も一緒にいられるわけではないので、その時間を大事にしたいなと」

帰る場所があるから、安心して外へ挑戦できる。
橋詰さんの数々の冒険は、この温かい土台の上にあった。

わからないことを、わからないと言える

62歳。今も橋詰さんは、noteを書き、新規事業を準備し、韓国プロ野球のために新しい世界へ足を踏み入れ、挑戦を続けている。

その原動力を、本人は「好奇心」の一言で語る。
挑戦しているという気負いはない。ただ、面白そうな方へ進んでいるだけだ。

そんな橋詰さんが、年齢を重ねて手に入れたものがある。

「わからないことを、わからないと言える勇気を持てるようになりました」

若い頃、爪痕を残そうと無理をしていた人が、今は等身大で「わからない」と言える。
それは弱さではなく、成熟がもたらした強さだ。

IT音痴のままAIを学び、下手だと思いながらポッドキャストを始める。
できないことを恐れず、好奇心のままに一歩を踏み出す——その姿は、人生後半での再挑戦を考える誰にとっても、静かな励ましになる。

あとがき

橋詰さんとインプレス福岡の縁は、2015年8月にさかのぼる。
当社のHPを見てご来店いただき、本柘植の法人設立印をお作りした。

実はあの頃、私はある法人会の会合に熱を入れていて、橋詰さんをその会合にお誘いした。
イエスもノーもなく、ただ黙って私の顔を見られた——その静かな反応が、なぜか10年間、鮮明に記憶に残っていた。

以来、メールのやり取りも、SNSのやり取りもないまま10年。
今回、勢いで声をかけたら、あっさりと快諾のお返事をいただいた。

「注文に来た時よりも、受け取りに来た時のほうが印象が強い」と橋詰さんは言う。
青い箱を開けたときのこと、そして当時の接客で私がランニングをしていた記憶まで——覚えていてくださった。

「声も印鑑も、自分自身に向き合うもの」。
橋詰さんがくれたこの言葉が忘れられない。

自分の声を一番近くで聞くのは自分。
印鑑を押す行為もまた、自分の決断と責任を自分に確認することだ。

設立印を受け取ったあの日、橋詰さんは「決断の証の重み」を感じたと振り返る。

声で人に何かを刻む人と、印で決意を形に刻む店。
10年の沈黙は、縁が切れていたのではなく、静かに続いていた。

インプレス福岡は、挑戦し続ける起業家の皆さまの節目にこれからもそっと寄り添い続けます。

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