第8回_九州経営リスクマネジメント協会株式会社 ―挑戦し続ける起業家たち―銀行の看板が、剥がれた。支店長が年収100万円になった日、そして来年で20年目を迎える逆転劇。

「独立してから気づいたんですよね。銀行にいたお客さんは、銀行の看板で付き合ってたんであって、私個人と付き合ってた訳じゃなかった、と。」

静かに、しかし確信を持って語る河津祐二氏の言葉には、19年間の経営コンサルタント人生が凝縮されていた。

29年間のサラリーマン人生を辞めて起業した54歳の春。そこから2~3年間の苦境。
そして今、72歳にして「ようやく充実してきた」と笑うその軌跡は、今まさに一歩を踏み出せずにいる人へのもっとも誠実な答えだった。

九州経営リスクマネジメント協会株式会社 代表取締役・河津祐二氏のインタビューをお届けする。

プロフィール

九州経営リスクマネジメント協会株式会社
代表取締役 河津 祐二 氏

1953年生。福岡市中央区平尾の履物商家に育つ。
早稲田大学法学部卒業後、1977年に福岡相互銀行(現・西日本シティ銀行)入行。支店長・本部勤務を経て、48歳で北九州病院へ出向し事務長を務める。
2006年12月に同行を退職。2007年3月、資金調達コンサルタントとして独立開業。
2021年に法人化。現在72歳、現役コンサルタントとして活躍中。
経済産業省・金融庁認定経営革新等支援機関。

目次

「東大しか目指していなかった」——商家の少年の背中

福岡市中央区平尾の商店街に生まれた。
父と母が営む履物店——下駄や草履を扱うその店は、子供の頃から身近な「商売の現場」だった。

「下駄はフリーサイズだから在庫が少なくて済む。でも靴になると24センチ、24.5センチと全サイズ揃え大量の商品を在庫しておかないといけないので、資本がない個人商店には靴を扱うのは難しい」と、幼い頃から在庫管理の現実を見ていた。

その後、モータリゼーションが進むと下駄文化は消えていった。
変化の中で生き残ることの難しさを商売人の子供として肌で感じていたのかもしれない。

早稲田大学法学部へ進学したのは、実は「東大だけを目指していた」結果だった。
家は裕福でなく、国立しか行けない。東京への憧れが強く、寮に入ることを条件に上京した。

「まあ、試しに1校だけ」と受けた早稲田に合格したとき、東大には届かなかった。
やめようと思ったとき、叔父が言ってくれた。

「せっかく早稲田に通ったんやから、金はなんとかしてやるから行きなさい」——その言葉が、東京での4年間を開いた。

29年間の銀行員——全国1位の論文、そして「出向」命令

1977年、福岡相互銀行(現・西日本シティ銀行)に入行。
同期だけで60人。銀行全体では2000人以上。
その中で自分をどう際立たせるか——河津氏が選んだのは「知識と論文」だった。

全国相互銀行協会主催の懸賞論文に応募し、全国から集まった作品の中で1位を獲得。
賞金30万円に加え、銀行からも20万円の表彰を受けた。

さらに第1回金融クイズ日本一全国大会で準優勝。
営業力より知力で認められた存在として、銀行内でのポジションを築いていった。

30代には東京事務所在籍中に米国ワシントン州立大学への留学制度を勝ち取った。
全国の地銀・第二地銀から選ばれた40人と共同生活を送った2ヶ月間は、「仕事を忘れて一番楽しかった時期」と振り返る。
後に副頭取や地銀頭取になる仲間たちとの縁は、人生の財産になった。

そして48歳、3支店目の支店長のとき、電話が来た。
「出向しろ」——行先は、北九州病院。

九州最大規模の医療法人だが、過去に倒産危機を2度経験した病院だった。
「まだ48なのになぜ」と人事担当役員に直接電話した。

しかし理由を聞いて、腑に落ちた。
「40代の支店長経験のある人間を出せ、という病院側の要望があった」のだった。3人の候補からあなたを選んだ、と告げられた。

「辞めます」——奥さんの一言が背中を押した

北九州病院の事務長として5年間。
病院経営の現場で、収支管理・人事・リスク管理のすべてを学んだ。
その後、普通なら出向先に転籍してそのままそこに残る——それが暗黙のルールだった。

この病院に出向中に、勤めていた福岡シティ銀行(旧福岡相互銀行)は西日本銀行と合併し、西日本シティ銀行が誕生した。

河津氏は商売人の家系が騒いだのか、転籍どころか、長年勤めてきた銀行を「辞めます」と言った。
奥さんへの相談は事後報告に近かった。

「自分でやりたいというなら、しょうがない、いいよって。最初はなんとかなりませんでしたけど、なんとかなると思ってくれたんでしょうね」

2006年12月、54歳で定年退職。
2007年3月、経営コンサルタントとして独立した。

「銀行の看板だった・・・」——起業後2〜3年の静かな現実

独立の計画は「病院・クリニック向けのコンサルティング」だった。
北九州病院で学んだ経営ノウハウを活かせる、と思っていた。

「甘かった。クリニックや病院は、大手医療コンサル会社に比べて、自分のような信用がない個人のコンサルには、そう簡単には仕事を出してくれなかった」

年間売上は1年目、わずか100万円前後。
月に5万円の顧問契約が1社あっただけで、それ以外は単発のスポット仕事だけ。銀行時代からの蓄えを少しずつ取り崩す日々が続いた。

「銀行員時代のお客さんは、銀行の看板で付き合ってくれてたんであって、私個人と付き合ってたわけではなかった」——その事実は、独立してはじめて、静かに、しかしくっきりと見えてきた。

奥さんは「しっかりせんね!」と言い続けた。逃げ場はなかった。
それでも河津氏は前を向いていた。

少し間をおいて石松は「その当時、仕事が上手くいかなかった時に、今思えば、こんなにしておけば良かったとか、 思われることはありますか。」と尋ねた。

河津氏は一呼吸して「そうですね、ランチェスター戦略の勉強とか、色んな人に会いに行くとかでしょうか?」と感慨深く答えた。

20年前の縁が、電話をかけてきた

苦境が続く中、ある日電話がかかってきた。
相手は、銀行の研修所担当時代——30代前半に仕事でやり取りしていた、金融機関向け研修会社の営業担当者だった。

「『河津さん、独立されたらしいですね。研修のお仕事をやってみませんか』って言ってくれたんです。その方との縁はそれまでずっと切れてたんですが、20年ぶりに声をかけてくれた。

声掛けしてくれた理由を後から聞いた。
「昔、本当にお世話になったから」——30代のとき、研修担当者として誠実に向き合っていた河津氏の姿を相手はずっと覚えていた。

1回の研修講師で10万円、3日間なら30万円。「やれば確実に入る」という安定した収入が生まれた。
やがて他の研修会社からも声がかかり、年間400〜500万円になった。
70歳まで実に15年以上、その仕事は続いた。

誰かに頼んだわけでも、売り込んだわけでもなかった。
20年前に誠実に働いていた自分が、未来の自分を救っていた。

1億が100億になった——コンサルティングという仕事の醍醐味

研修の仕事が基盤となり、顧問先も少しずつ増えていった。
そして今、その事業モデルの真価が花開いている。

「付き合い始めた頃、売上1億だった建設会社が今は30億。もう1社は1億から100億になった。お客さんが成長したら、顧問料も上げてもらえる。それが自分の事業の成長にもなる」

29年間の銀行マン経験と19年間の金融コンサル実績を持つ専門家として、現在は資金調達・経営改善計画・補助金申請支援など、中小企業の「お金の悩み」に寄り添う。
広島の顧問先には月1回出張し、今も現役そのものだ。

仕事で一番大切にしていることを問うと、即答が返ってきた。

「先生っぽくしない。パートナー意識で接すること。いくら顧問先であっても、上から目線でこうしろというのはやらない。対等な立場で役に立てることをする」

「10年早く独立していれば・・・」——シニア起業家への直言

54歳での独立について、河津氏は今こう思っている。

「10年早く独立していれば、事業の展開ももっと違ったかもしれない。今から新しいことにチャレンジするのはちょっと、72歳では勇気がない。だから独立しようと思うなら、若い方がいい」

同時に、準備への警告も忘れない。

「資金だけは貯めておくこと。2〜3年仕事がなくても食えるくらいの蓄えがないと、精神的に追い詰められる。あと、相談する相手を間違えないこと。保守的な人や独立したことのない人に聞いたら『やめとけ』と言われるだけ。実際に独立した人か、多くの起業家を見てきた人に相談するべきだ」。

「タイミングを逃してズルズルするのも問題だ」とも言う。
ちょうど良い塩梅——それを見極めるのは、勇気とデータの両方が必要だということだ。

ギターを弾きながら歌う、72歳の現在地

今月末、河津氏はライブハウスの舞台に立つ。
ギター伴奏に合わせて3曲を歌う、という挑戦だ。今週からレッスンを始めた。

「カラオケとはまた違う。地声を出さないといけないし、どこから入るかも違う。今、YouTubeで自分の録音を聞いて練習しています」

毎朝の愛犬ナナとの散歩が日課だ。
月1回の広島出張もこなし、友人のライブにも月3回通う。
45回目の結婚記念日も、誕生日も、ちゃんとお祝いする。

仕事も遊びも人生も、全力でやる。その姿勢が、72歳の顔に刻まれていた。

来年、独立20年を迎える。80歳まで続け、信頼できる後継者に引き継ぐ。
その日まで、パートナーとして顧問先の成長に寄り添い続ける——そう静かに、しかし確かに語ってくれた。

編集後記:あとがき

河津氏とインプレス福岡の石松がいつ出会ったのか——実は、二人とも正確には覚えていない。
「リードクリエーションのセミナーだったか、稲田先生の勉強会だったか」という記憶がうっすらとあるだけだ。

ただ、それでいいと思っている。
縁というものは、互いが意識する前から静かに積み重なっている。

2021年8月27日、法人設立印3点セットをご注文いただいたとき、個人事業から株式会社へという節目をインプレス福岡もそっと共に経験した。

「石松さんのところで作った印鑑、契約書や請求書でもちろん使っていますよ」と笑ってくださった。
その言葉が嬉しかった。法人の印鑑は看板ではない。看板を手放して、自分の名前で生きていく人間の覚悟の証だ。

20年前の誠実な仕事が、苦しい時代に電話をかけてきてくれた。
そのことを河津氏は「縁」と呼んだ。

インプレス福岡も起業家の皆さまの節目に、これからも静かに寄り添い続けます。

資金調達コンサルタント/経済産業省・金融庁認定経営革新等支援機関
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