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第7回_株式会社マキダオ ―挑戦し続ける起業家たち―「仕事は楽しくやる。それだけですよ」—無線機ひと筋50年、72歳の現役経営者が語るサラリーマン起業の真実

「仕事は楽しくやる。それだけですよ」
そう言いながら、槇垰公夫氏は少し照れたように笑った。
72歳。今もひとりで車に積んだ無線機を背負って、北部九州・山口の現場を駆け回る現役経営者だ。
オイルショック明けの就職難の時代に、たまたま縁のあった会社へ。
転勤を重ね、無線機一筋で57歳まで勤め上げ、個人事業を経て60歳で法人化。
「仕方なく起業した」と笑うその言葉の裏に、15年間のワンオペ経営を支えてきた、静かだが揺るぎない哲学があった。
株式会社マキダオ代表取締役・槇垰公夫氏のインタビューをお届けする。
プロフィール
株式会社マキダオ
代表取締役 槇垰 公夫 氏
島根県出身。福岡工業大学卒業後、昭和52年に三菱系代理店へ入社し、業務用無線機の販売・保守・メンテナンスに従事。
57歳まで勤め上げた後、個人事業として独立。
60歳で株式会社マキダオを法人設立(2014年4月30日登記)。
司法書士事務所の紹介でインプレス福岡にて法人設立印セットを作成、同時に会社ウェブサイトを制作し、現在も管理継続中。
業務用無線機の販売・保守・電気通信工事を手がける北部九州・山口エリアの専門商社。
「携帯電話の時代に、無線機ですか?」
インプレス福岡代表の石松がはじめて槇垰氏と縁をいただいたのは、12年前——2014年4月のことだった。
司法書士事務所の紹介でご来店いただき、法人設立印セットをお作りし、そのままウェブサイトの制作もお手伝いした。
当時、石松が正直に感じたのは「携帯電話が十分に普及しているのに、無線機で起業するのですか?」という驚きだった。その疑問を、今回のインタビューでストレートにぶつけてみた。
「そうそう、携帯だと1人1人にかけないかんでしょ。無線はポンと押せば、全員に同時に話せる。それが一番大きいです。あと、基地局があってもなくてもいい。バッテリーも8〜12時間もつし、丈夫です」
一斉同時通話。通信インフラ非依存。長時間稼働。
並べてみると、スマートフォンには代替できない理由が次々と出てくる。
さらに槇垰氏は、道路交通法という意外な角度も付け加えた。
「ダンプとか運転中にスマホ触ったら違反になりますから。マイクのコードがついた無線機ならOKなんです。だから車両系の業種はまだ無線が残ってる」
「市場規模も大きないし、今後拡大もしない」という地味な存在だから、大手資本も介入して来ない。
故にそこには専門商社が長年の顧客関係を守れる市場の「ニッチな強さ」がある。
オイルショック明けの就職難が、無線機の世界へ導いた
槇垰氏が業務用無線機の世界に入ったのは、昭和52年(1977年)のことだ。
福岡工業大学を卒業し、工業系の仕事を探していたが、オイルショック後の就職難の中では選択肢がなかった。
「販売ばっかりで、技術系の会社がなかなかなくて」と探し続けた末に縁をつかんだのが、三菱の代理業も有する会社だった。
入社して間もなく、「申し訳ないけど、新しく販売するセクションに入ってもらうからって、言われてそうなったんです。だけど、まあ、悪いとかどうか否定することはないから。今があるんだろうと思いますけどね」
希望通りではなかった。しかし、与えられた場所で腕を磨いた。
タクシー、建設業、警備、港湾——
それぞれの現場を駆け回り、無線機というニッチな世界のユーザーと、ひとつひとつ関係を積み上げていった。
携帯電話が普及するにつれて業界が縮小し、同僚が次々といなくなっていく中でも、槇垰氏だけは無線機の現場に残り続けた。
「仕方なく起業した」——それが最も誠実な答えだった

57歳。会社は事業の縮小を決めた。
「段々と事業としての内容じゃなくなってきた。それで、来年からもうこの仕事は省くよという話になった。ほんなら、持っていきましょうか、と言ったんです。私がいなくなれば、今まで付き合ってきたユーザーに迷惑かかるから」
驚くべきことに、前の会社は「顧客を持っていっていいよ」と言ってくれた。
「できる人間がいないから。今までのユーザーが苦情を言ってきたら困るから、持って行ってくれという会社事情。こちらはいいです、持っていきますというウィンウィン状態」
華々しい「起業の夢」でも、強烈な「起業の意志」でもない。
ただ、長年一緒に仕事をしてきたお客様に迷惑をかけたくなかった——その一点だった。
その後、3年間の個人事業を経て、「直接取引しようと思ったら、個人では受け付けないというのがあった」という現実から、60歳で法人化を決意。2014年4月30日、株式会社マキダオが誕生した。
会社の退職日の翌日から、同じ仕事を自分の名前でやり始めた。
「お客さんにも、会社に代わって私がやりますということを宣言しながら」
前職の事業を引き継いで独立する——リスクよりも「ストレスのなさ」
「定年前後に独立したい」と考えるサラリーマンに向けて、槇垰氏のモデルは非常に示唆に富む。
石松が「前職の事業を引き継いで独立するモデルの強みとリスクは?」と問うと、即答が返ってきた。
「リスクはないですね。強みは、従来の仕事をそのままやることによるストレスがないこと。昔のような文句をつけて金払わんとかいうのが最近は全くないから」
新規開拓の営業は、15年間でほぼゼロ。
既存の顧客関係を丁寧に維持し続けることだけで、事業を回してきた。
一方で、同時に正直な言葉も続いた。
「独立するなら40代で若くした方がいい。そうすれば、組織が作れるから。私は60の手前の年齢でしましたから、組織が作れなかった。1人でやるしかない状況になった。2、3人でもいれば全然違う」
「楽しくできるという思いがあるなら独立していい。苦しいばかりと思うなら、無理にすることもないでしょう」
——その言葉に、15年間のひとり経営の実感が滲んだ。
「誰も褒めてくれないから、自分で楽しくする」

槇垰氏のワンオペ経営の核心は、一言で言えば「自分で楽しくすること」だ。
「1人でやってるから、誰も褒めてくれない。楽しくなかったらしない。利益がなかったらやらない。よそが安いって言われたら、どうぞそちらでと言う。競ってまでやりたくないね」
価格競争には参入しない。利益が出ないなら手を引く。
強がりではなく、72歳のワンオペ経営者が辿り着いた、合理的な判断だ。
昨年末には病気を経験した。
足腰が立たないほど体を痛めながら、それでも仕事を続けた。
「なんかあった時は、まずいぞと。元気があれば、猪木じゃないけど、なんでもできる。元気が1番やな」
印鑑について尋ねると、「実印と銀行印はあまり使わないが、角印は見積書などに頻繁に使ってますよ。」と答えてくれた。
銀行印はカード決済が増えてほとんど出番がなくなったが、ビジネスの節目節目であの日インプレス福岡で作った印鑑が今も押されている。
あと3年——潔い「引き際」を考える経営者の矜持
現在、事業の半分以上を占める電波(MCM)が、3年後の5月末に停波することが決まっている。
「3年後に今の仕事の半分ほどがなくなる。今年から少し仕事もよろしくない。去年までは順調にさせていただきましたが。」
後継者はいない。息子は全く別の業種だ。
同業他社への引き継ぎも「言いにくいし、言われても申し訳ないとなりますから」と難しい。
それでも槇垰氏は、焦っていない。
「お客さんに迷惑かけんように引いていかないかん。車もリースであと5年ある。だから、あと5年は頑張らないかんなと思いながら、どこかに知り合いの会社にお願いしてくださいって言わないかんかなと考えながら、日々やっています」
長年付き合ってきたお客様のことを最後まで心配する。
起業した理由と、事業を畳む理由はやはりお客様のことだ。
編集後記:あとがき
インプレス福岡と槇垰氏の最初の縁は、12年前の司法書士事務所の紹介でした。
ご来店いただき、法人設立印セットをお作りし、そのままウェブサイトも制作させていただきました。
あれから12年。ウェブサイトは「変える必要ない」とおっしゃりながら、今もそのままインプレス福岡が管理し続けています。
「角印は見積書などに頻繁に使ってますよ。」——そう笑いながら話してくださった槇垰氏の言葉が胸に残っています。
法人の印鑑は、華々しい場面で押されるためだけにあるのではない。現場を駆け回る、地味で誠実な仕事の積み重ねの中で押されている。
「仕方なく起業した」と笑う人が、15年間ひとりで回し続けてきた会社がある。
その事実の重さをこのインタビューで改めて感じました。
無線機は、誰かの仕事が滞りなく動くために見えないところで電波を飛ばし続ける。
インプレス福岡も起業家の皆さまの節目に、これからも静かに寄り添い続けます。

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